
※写真は人形です
たくさんの幸せをくれた大切な家族を
とびきり可愛く華やかに
虹の架け橋ぷうの〝想い花プラン〟
その子に似合いそうなお花の色合い等伺いご用意させていただきます。

大切な家族だから最後まで愛を込めて
ちいさな家族にありがとう

※写真は人形です
たくさんの幸せをくれた大切な家族を
とびきり可愛く華やかに
虹の架け橋ぷうの〝想い花プラン〟
その子に似合いそうなお花の色合い等伺いご用意させていただきます。

大切な家族だから最後まで愛を込めて
ちいさな家族にありがとう

キミがいつでもお腹いっぱい楽しく過ごせるようにお弁当を用意しました。
いつものカリカリ、ごほうびのおやつ、家族の食卓で食べたそうにしていたもの、体に毒があると聞いてあげなかったもの、特別なときに食べたごちそう
たくさん食べてね。
お空では、みんなでお弁当の自慢大会しているかな。それとも、ママやパパの自慢大会をしているかな。お腹いっぱい満足してたくさん遊んで、充電できたら帰って来てくれるな。それとも、待っていてくれるのかな。
どこにいても、キミが幸せでありますように。
また逢えたとき、合標になるよう家族の匂いのついたハンカチも持って行ってね。きっとまた逢えるから。そう信じて生きていきます。
生まれてきてくれてありがとうね。家族になってくれてありがとう。
ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう

あの日から丸10年が経ちました。

いつもそばにいたぷーちゃん。
私の腕枕で寝て、朝はカーテンを開けに立つだけで寂しがるので、抱っこしてカーテンを開けてリビングに移動して、ゴミ捨てに出ると外まで聞こえる大きな声で鳴くので急いで帰り膝の上で撫でる。時間の許す限り一緒に過ごしたね。
そんな毎日が長く続いたことは、今でこそ奇跡と思っているけれど、あの頃は当たり前に明日もその先も続くのだと信じていました。


20歳近い頃、郵便屋さんに「可愛い仔猫ちゃんですね。」と言われたことがありました。そう、ふわふわで毛艶もまあまあ良く大きなグリーンアイが綺麗な自慢の子でした。
若い頃より甘えん坊になり、気は強いけれど優しく、よくしゃべる女の子。ハスキーな声が懐かしい。いつも私について歩いて、お風呂やトイレの前で待っていてくれて、帰宅すると必ず玄関前で迎えてくれた…。幸せ過ぎるほど幸せな時間でした。




体は少しずつちいさくなっていきました。お世話ができた時間。今ならそれも幸せだったと思えるけれど、当時は辛かった。
いつかふたりで過ごす時間が止まることが怖かった。
辛い思いはさせたくない。けれど生きていて欲しい。
「お母をひとりにしないでね。ずっとそばにいてね。」そんなことを何度も言ってしまった。当時は気持ちがグチャグチャで、ぷーの気持ちより自分の気持ちを優先していたのだと思います。
身内に言われた言葉が鋭く私の心を刺しました。
「ぷー、よぼよぼじゃん。もう楽にしてあげなよ。」
なんでそんなこと言うの?言われなくてもわかってはいるんだよ…。当時の私にはきつい言葉でしたが、身内のぷーへの優しさでした。正直〝安楽死〟は一切考えていなかったけれど〝延命〟のためにこのあとしてきた強制給餌などが、ぷーを苦しめてしまったのではないか…。ぷーの呼吸が止まってしまったあの日から、答えがわからないまま、後悔や悲しみで心がつぶれてしまいそうな日々を過ごすことになりました。

見るのが辛くてDVDに移しスマフォから消してしまった写真を少しずつ戻しました。

友人に教えてもらった手作りウォーターベッドに寝かし、部屋の掃除やケア用品の洗浄などをして、これからも続くであろう介護生活のために英気を養おうと途方5分かからないスーパーに食料を買いに行き走って戻り、ぷーにサーモンのお刺身を湯通ししペースト状にして口に運んだけれど、もう舐めることもシリンジのお水を飲み込むことも…。
この翌日、永遠の眠りにつきました。

姉に電話で報告し、次にお世話になった獣医さんにご報告し、火葬場の連絡先を教えてもらいました。でもこの現実を口にすると涙が出てしまい、話すことができなくなります…。友人に来てもらい代わりに火葬場を予約してもらったりドライアイスを買ってきてもらったり、助けてもらいました。
職場にも連絡を。猫の葬儀が理由では休ませてあげられないと言われ、火葬は1週間後になりました。1週間、ひたすらドライアイスをあてながら冷房で限界まで室温下げ、長座布団に寝かせたぷーに添い寝して過ごしながら、仕事にも行きました。
そして、ぷーに触れられる最後の日。朝方、ぷーの夢を見ました。
よぼよぼした最近のぷーが、私の膝に手をかけ仔猫を出産し、私の父親がとりあげ拭いてくれる夢。父は先に亡くなっていたため、ぷーの旅立ちを手伝いつつ、私に希望を残してくれたのか…そんな風に感じる夢でした。実際にしばらく後、私に出逢いがありました。

介護中、SNSでつながった猫仲間の方からお花や手紙、手作りのシュシュや似顔絵などが届きました。なんてありがたいことでしょう。ひとりで介護していたため、不安でいっぱいになり心が乱れたときも励ましていただいたり、力をもらいました。
肉球は生前に複写式のキッドでとったもの。嫌がり動いてしまったので綺麗にとれず、亡くなってから飾りましたが、どうして見送る前にとらなかったか…と後に悔やむことになりました。
毛ももらっておけばよかった!抜け毛だけ少し保管してありますが、カットした毛とは違うんです。尻尾の黒い毛、白い毛、グレーの毛。それぞれ残しておけばよかった…。との経験談は今も人に伝えています。

残ってしまったフードやケア用品を必要とする子たちへ 「つなごう命のバトン」
今でこそ、人や猫たち、ワンちゃんたちのために何かお役に立てたらと思い出来ることをしていますが、当時はある程度を友人の猫ちゃんに分け、お供えを毎日豪華にし、爪研ぎやトイレ、キャリーや首輪など使用していたものは綺麗に洗ったり拭いたりして今もたくさん保管しています。使用済みの点滴針は、ずいぶん経ってからようやく病院に持って行きあとのことをお願いしました。

リビングに祭壇を設け、1日2回のお供えと絶やさないよう買い足してきたお花。ひたすらお線香を焚き泣いて過ごして迎えた四十九日。
寝室にはミニタワーを祭壇にし、夜はぷーの遺骨を寝室に移し、朝はリビングに戻す。情緒不安定でボロボロながら少しずつ前に進もうと、重い腰をあげ四十九日に祭壇を縮小し、遺骨を移動することをやめました。
それでも気持ちはなかなか前に進めません。仕事中以外は常に泣いていたような…。1人になったら車でも家でも、うっかり外でも泣いていました。ホームセンターやスーパーのペットコーナーは小走りで通り過ぎました。
帰宅が深夜になる日は出勤前に買い物し、職場の冷蔵庫に鮭やカジキマグロの切り身を入れておき、帰ってから焼いてほぐしてぷーに。残りを私がいただく。そんな日々を過ごしていた頃、職場では私がおかしくなったのではないかとザワザワしていたと後に知りました。
全く立ち直れる気がしない。お腹を空かせたまま眠りついたぷーに悪くて、お供えの残り以外を食べることに罪悪感。あれこれ考え自分を責め、ぷーに謝る…。人前では立ち直った風に振る舞っていても、1人になるとまた泣いて自分を責める、その繰り返しが永遠に続きそう。相変わらず不安定な私に、普段クールな身内から珍しく電話がかかって来ました。
「あんた、ぷーの所に行きたいなんて思ってないでしょうね?」
あっ!そうか。私は最低限だけ食べながら、どんどん痩せていずれぷーの所に…と無意識に行動していたのか。久しぶりに現実に戻った気がしました。それまで心がどこかに行っていたような、ぷーのいない現実を受け止めたくなくて、現実逃避していたのか。
このままではいけない。ぷーはあんなに頑張ってくれていたのに。目いっぱい生きてくれたのに。たぶんとっくに限界だったのに、私のために頑張ってくれていたのだから。
もう2度とこんな悲しいことはイヤ。もう猫は迎えない。そう決めていたけれど、このポッカリ大きく空いた穴を埋めなければ生きて行けない。大きな穴は猫でしか埋められない。SNSで猫を見るのは複雑な気分になっていたけれど、「深夜に自宅に誰かが仔猫を投げ捨てて行った!」とショッキングな記事が目に留まり経過をハラハラしながら注目していました。そして、ご自宅には複数の先住猫がいるため里親を募集すると。「ぜひ私が!」手を挙げていました。

その子が、たった今も私の横で寝息をたてているこの子です。虹の架け橋ぷうを立ち上げるきっかけはぷーとの別れでしたが、活力となったのはこの子とその後迎えた子たちの存在です。
Part2に続きます。

生きた証でもあるお遺骨をほんの少しお預かりし、ガラス球に閉じ込めます。
お預かりしたお遺骨は、作家さんが神社でおまいりした後丁寧にアクセサリーなどに仕立てます。
お届けした天使のカケラ

勾玉チョーカーお選びいただいた3色のガラスを合わせた勾玉のチョーカー。紐も2色お選びいただき組み合わせます。

ガラスビーズお手持ちのブレスレットに合わせられるよう、ビーズのみお作りしました。

チョーカーとビーズ

雫 ピアス

勾玉チョーカー

勾玉チョーカー

キーホルダー

チョーカー

チョーカー

勾玉チョーカー

チョーカー

チョーカー

サンキャッチャー

チョーカー

勾玉チョーカー

ブレスレット

勾玉チョーカー

キーホルダー

ネックレス

ビーズ

勾玉チョーカー キーホルダー 宇宙球流星
これからもずっと一緒に
「いつものお散歩道を一緒に。」
「今まで一緒に行けなかった場所に連れて行ってあげたい。」
「納骨する前に少しだけ手元に残しておきたい。」
「お遺骨が納まっているように見えないから身につけやすい。」
姿はかわっても愛おしい。大切な子の生きた証をお手元に。
虹の架け橋ぷう公式ホームページ
https://nijinokakehashi-poo.info/





保冷剤をペットシーツで包む



枕をつくる


ご安置後のイメージ

ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう
2020年12月25日
ちいさな黒猫が庭に倒れていました。ねずみ捕りの罠にでも引っ掛かってしまったのか、その体は所々毛がなく、足の甲や踵は骨がむぎ出しになっていました。毛の少ない尻尾はか細く、下半身はウンチまみれです。お尻には男性の親指くらいのコブのようなものがありました…。
こんなにぼろぼろな猫は見たことがありませんでした。ひとまず玄関に入れ、ストーブを用意しました。新聞紙を敷きつめ、段ボール箱にも新聞紙を敷きちいさなハウスを置きました。
魚味の猫用フードを与えると、よほどお腹が空いていたのか、目やにの混じった涙を滲ませ食べました。生きられるのだろうか。それに、うちでは面倒を見切れない。
「今にも死んでしまいそうな猫がいる。安楽死と火葬を頼みます。」
私は旅立ちのお手伝いをさせていただく葬儀屋です。でも〝安楽死〟はもちろん私のできることではありません。信頼できる獣医師さんに相談する前に直接会いたいと申し出ました。
初めて会ったその子は、想像以上に痛々しい姿でした。成猫のようですが子猫のような華奢な体…。意志とは関係なく柔らかいウンチが出てしまうようです。玄関に敷き詰めてある新聞紙もウンチまみれ、血液も混ざっているようでした。
でも、目に力があります。
可愛らしい声でちいさく鳴き、私の足に擦り寄ってきました。初めて会った私に甘える様子にも驚きました。
どこでどう生きていたらこんなにボロボロになるのか…。よく事故に遭わず、生き延びてきたね。ここで倒れるまで、この寒い中、細い足で歩きさまよい助けを求めて辿り着いたんだね。人に甘えることを知っているんだね。応えてくれる人が以前はいたの?
ごはんを食べる姿を見ながら、一度病院へ一緒に行き診てもらおうとお願いしました。

ひと通り検査をしてもらうと、猫エイズ、白血病共に陽性…。そしてお腹には回虫とマンソンがいました。上顎は炎症をおこしており、お尻のコブのようなものは原因がわかりませんでしたが、少しでも触れると悲鳴をあげました…。
まさに満身創痍…。
病気だから人に捨てられてしまったのか、人に捨てられ彷徨ううちに病気になってしまったのか、本当のことはわかりません。わかることは、こんなにボロボロになっても、今生きているということ。生きようとする力があるということでした。
「うちでは飼えない。」
そう言いながら、玄関に敷いた新聞紙をペットシーツに替え、トイレを新調し、アンカを入れたハウスを作ってくれていました。


保護から1ヶ月。4回目の通院日にお迎えに行ったときの黒猫ちゃん。

黒猫だから仮に〝クロ〟とされていたカルテに名前が書かれました。
クリスマスに出逢ったから〝サンタ〟にしよう。
骨が見えてしまっていた足や尻尾が毛で覆われるようになりました。お尻は痛がりますが、少しずつ良くなっているようにも見えました。初めて病院に行ったときに教えてもらった薬の飲ませ方。慣れない手つきで試行錯誤しながら、毎日飲ませています。
迎えに行くと、少しだけ抵抗するものの、おとなしくキャリーに入ってくれました。1週間おきに病院へ。
もう、サンタちゃんの〝お父さん〟と呼んでいいですね?自然な流れでした。
ステロイドや抗生剤、療養食、通院を続けていくうちに、少しずつ体重も増えていきました。
お父さんは3階建のケージを購入。でも狭そうで可哀想と言い、ケージは保護猫シェルターへご寄付され、サンタちゃんには専用部屋を用意しました。

キャリーに入る→病院へ→お家に帰れる
少し我慢してもらいますが、ちゃんと家に帰れると理解しているようで、診察が終われば自らキャリーに入りたがりすぐに落ち着きました。

出逢ってから2ヶ月半
3月に入り、ついに4kgを超えました!
このときは一緒に喜び、そしてこのまま回復して行くと信じていました。口の中の炎症もきれいに治り、あとは下痢が治れば。ワクチンや去勢手術も近いうちに。たくさん抱っこもしよう。
4月に入っても4kg台を維持し、3種混合ワクチン接種までこぎつけました。通院は2週間おきに。下痢はまだ続いています。原因がわかりません。拭いてあげても柔らかいウンチはすぐに体を汚してしまいます。
6月に入り食欲が落ちてきました。トイレに籠っても思うように出ないのか周辺にもらしてしまうことが増えました。この頃から少しずつ体重が落ちていきました。療養食は色々試した上で、これ以上痩せてしまわないように、食いつきを重視することにしました。

11月になりました。体重は3kg台を維持していますがずいぶん軽く感じます。下痢は続いておりよくお尻を舐めています。そしてまた…足の毛が薄くなり、踵の骨が見えてきました…。鼻も口も赤っぽく、かさぶたのようになっていました。薬を減らし、食べられるものを与えるようになりました。
「長くは生きられない気がする。だったらなんでも食べさせた方がいいんじゃないか。」


下痢は治してあげたいけれど、好きなものも食べさせてあげたい。サプリメントを混ぜたりしながら体重が減らないように気をつけていました。
また小さくなったように思います。でも撫でるとうっとり嬉しそうに喉を鳴らし、名前を呼ぶと来てくれます。
このままでもいいのかもしれません。でもウンチをする度に痛がっているのが可哀想で、治せる方法があるのではと…諦めがつきません。

4月になりました。出逢ってから1年と4ヶ月。4.5kgまでいった体重は出逢った頃の小さなサンタちゃんに戻ってしまいました。
思い切って別の病院でも診てもらうことにしました。そして〝短結腸症〟という、健康な子の腸に比べて3分の1しかないことがわかりました。そして治らないとも…。
それでも出来ることはしようと、食事療法、投薬、サプリメント、通院はサンタちゃんの負担を考え回数を減らし、薬だけもらいに行き届けつつお父さんからサンタちゃんの様子を聞きました。

診察台から降りたがり、私の上に来てくれたサンタちゃん。
6月に入ると「最近サンタの耳が折れてきた」とお父さんから連絡がありました。

「これはこれで可愛いけどね。」
体重は2kg台になってしまいました。知人の家族だった猫ちゃんが、亡くなる前耳が折れてきたことを思い出しました。


もしかしたら、残された時間はもう少ないのかもしれません。
撫でると嬉しそうにするサンタちゃん。抱いてあげたいけれどすぐにウンチが出てしまうからあまり抱いてあげられないというお父さん。
オムツをすることを提案しました。
ごはんはもうなんでもあげると決めました。焼き魚でも茹でたお肉でも食べられるものならなんでも。それから数ヶ月。
2022.11.27
サンタちゃん永眠
「サンタのことで相談があります。明日時間はありますか?」
申し訳なさそうに、言いづらそうに話してくださいました。
前日ごはんを食べていたけれど、朝部屋に入ったら冷たくなっていたということを。
翌日、一晩うちでサンタちゃんをお預かりすることになりました。
たった数日会わなかっただけなのに、また小さくなったね…。治してあげられなくてごめんね。2年近くもがんばってくれてありがうね。
ここからはサンタちゃんの最期の姿になります。苦手な方はここで閉じていただけたらと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。
「安楽死と火葬を」あれから2年近く
生きようとしたサンタちゃんと守ろうとしたお父さん。

本当のところキミはどこでいつ生まれたんだろう。何歳なのかな。どうやって生き延びてきたのかな。
お父さんの家の庭で見つけてもらってなければ、ボロボロのまま、お腹を空かせたまま、ひとりで冷たくなっていたんだよね、きっと…。
ずいぶん頑張らせてしまったけれど、この2年弱、幸せだったかな。
賢い子だったね。穏やかで懐っこかったね。病院の帰り道はキャリーの中で寝ていたね。堂々として格好いいところもあった。お花は白や黄色で明るくしようか。明るく。可愛くして送り出すよ。

お母さんが用意してくれたお花
サンタちゃんを家に迎え入れることに積極的ではなかったお母さんも、毎日の投薬など協力してくれ、サンタちゃんのためにお花を用意してくれました。
遺影は、出逢って3ヶ月弱の頃の男前なサンタちゃんを選びました。

お家から持ってきていただいた、サンタちゃんの最近のお気に入りフードは明日お弁当箱に詰めて持たせてあげよう。

ちいさなサンタ帽と赤い蝶ネクタイ
うちの猫たちお気に入りのオモチャのネズミも持って行ってね。

この日は暖かく、時々小雨がぱらぱらしていましたが、お父さんに見守られながらお空へ。
明るく送ろうと思っても涙は次から次へと溢れ出てきて箱ティッシュを持ったまま手を合わせることになりました。
寂しいことは変わりませんが、火葬をして見送ると諦めがつくというか、踏ん切りがつくというか…。ひとつ超えた感覚がありました。まだ信じられない気持ちもあるけれど、白くちいさくなったサンタちゃんは、もうお尻が痛くないし、お薬飲まなくていいし、通院もしなくていい、がんばらなくていいんだ。
それにきっと、サンタちゃんは寂しくないね。なんとなくそんな気がします。
看取ってあげられなかったことが悔やまれる。
もっと抱いてあげればよかった。もっと撫でてあげればよかった。
どんなに手を尽くしてもその時出来ることを全てしたはずでも、あとになると込み上げるものがあります。
でもあの子は、あの子たちは、いつだって今を懸命に生きているだけで、もっと単純なのだと思います。
私の知っているサンタちゃんならこう言っていると思います。
あの時助けてくれてありがとう。大好きだよ。
「ありがとう」「大好き」お互いに、こんなにわかりやすく相手を幸せにする言葉があるのだからしっかり伝えたい。
いつか後悔などよりこちらの感情が超える日がきっときます。心からそう思える日まではたくさん泣いたり悔やんだりしながらあの子の写真に話しかけるときは無理にでもひねり出そう。

同じときを生きてくれたキミに
ありがとう。大好きだよ。
元気いっぱい賑やかで、ママもパパも大好きな甘えっ子。
家族だけに心を許し、犬のお友達は、家族でもある黒柴のはるちゃんだけです。
「優しいはるちゃんのことは好きだけど、ごはんやオヤツはあげないよ。」
食いしん坊で、少し気の強いわがまま娘。
そんなキミが、そんなキミたちが愛おしい。
あの日、酸素室から出たいと言い、自力でトイレを済ませ、いつも決まって一緒に寝るパパのベッドまで行き、ママの手を借り定位置へ。
ママがずっと撫でていてくれました。
最後まで気丈で甘えっ子のキミらしかったね。
キミを包む花を、パパと一緒に選びました。
悩むパパに
「どんな子ですか?」
と訊ねると
「うるさいくらい、元気な性格です。」
あれから数ヶ月が経ちました。
家の中が静かで広く…寂しい。
キミに似合う花を選んでは部屋に飾っています。
ピンク色も似合うけれど、やはり向日葵がしっくりくるよ。
明るく元気でポジティブなイメージがキミにぴったりの向日葵。
いつも家に明るい光を、元気を、幸せをありがとう。
パパたち、これからゆっくり少しずつ、元気になるから。
だから安心していてね。



初めて会ったキミは頑なに背中を向けてこちらを見ようとはしなかったね。
家族が出来て去っていく子を何度も見送ってきたのかな。
他の子たちより少し大きなキミに一目惚れし、この手に抱かせてもらいました。
しばらくは様子を見ていたようだけれど気持ちが伝わったのか、どんどん自分を出してくれるようになりました。
ママも好きだけれど、パパが大好き。
妹が家族に加わってからは、大好きなパパと一緒に寝る特権を妹に譲ってあげる優しいお兄ちゃんになりました。
控えめだけれど甘えん坊。
ママとパパの優しさに包まれて、人が大好きになりました。
小さな子に触れられても全く怒らないキミは、みんなに可愛がってもらいました。
「この子の子供が欲しい」
子供はいないけれど、そんな風に言われたこともありました。
パパとママの次にごはんが大好き!
ごはんの予感がすると、キッチンまでスキップしちゃう。
そんなキミもおじいちゃんになり…
その日が来てしまいました。
大好きなごはん、食べられなかったもんね。しんどかったね。
よくがんばってくれたね。
寂しいけれど、覚悟する時間をキミからもらいました。
パパとママの匂いでしっかり包み、お空へ送りました。
雨が降り、虹の橋が架かったよ。
兄妹また逢えたかな。
優しいキミのことだから、お弁当分けてあげるんだろうね。
寂しいけれど、お空の上でもキミたちが幸せでありますように。
15年間、たくさんの幸せをありがとう。


写真は 2021.3 に家族になった〝こはる〟
愛猫ぷうを見送り7年3ヶ月が経ちましたが、当時を振り返るといまだに涙があふれます。
もっと何かできたのではないか、あの時ああすれば良かった、あんなことしなければ良かった。
少しずつ出来ないことが増え、少しずつ痩せてちいさくなり、いつか来る別れから目を背けなくなったあの頃。辛い現実。いつかこの子がいなくなったら、この子のいない世界はどんな世界なのか…。
あの頃の私は、愛猫の気持ちよりも自分のことでいっぱいだったように思います。
今だったらこうするのに。悔やんでも時間は戻りません。でも今からできることがあると思っています。それは、伝えること。
せめて見送るときには後悔して欲しくない。
まだ間に合うならば、私のように後悔してほしくないと思っています。
「大切なものを失うかもと想像する段階から失った後までも起こる喪失体験がもたらす心情」
〝グリーフ〟について〝グリーフケア〟について勉強をしています。


〝ちいさな家族のおくりびと〟として。
愛猫を送った〝ぷうのお母〟として。
〝いつか来るその日〟までその子に何をしてあげられるのか、ご家族の心の負担はどうしたら軽くなるのか、そしてその日が来てしまったらどうしたらいいのか。何ができて、何をしないと悔やみやすいのか。
たくさんのご家族と接し、たくさんの別れの形を見てきた経験も
今まさに悩んでいる、苦しんでいるご家族にお伝え出来たらと思います。
大切な家族だから最後まで愛を込めて
そして
その子にとってもあなたは大切な家族
ご自身も大切に
責めないで
しっかり食べてしっかり寝て
人に甘えたり頼ったりしていいのだから
たくさん泣いてもいつかまた笑える日がきますように

ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう
https://nijinokakehashi-poo.info/
キミがお空に旅立って1年が経ちました。
あの頃、辛いなんて思うことはありませんでした。
自分たちの感情よりもキミのサポートに集中していたから。
オムツの交換をするときも、ごはんの用意をするときも幸せでした。
クルクル回るように歩くキミに歩行器をつくり、怪我をしないように見守りました。9時間歩き続けたこともあったね。
ママが聴こえなくなり、目が見えなくなり、大きな声で鳴き続けることもありました。
どうしたらいいかわからなくなった時、SNSで励ましてくれる方々がいました。心強かった。シニアの子と向き合った経験のある方ってたくさんいるんですね。教えてもらうこともたくさんありました。
甘酒もプリンも受け付けなくなったとき、覚悟を決めました。
1日でも長くいて欲しいけれど、苦しませることはしたくない。キミが穏やかに眠れますように。

10ヶ月以上に及んだ介護生活が終わる時がきました…。
優しく穏やかで、天使のような寝顔でした。
たくさんの花で包んであげよう。お弁当持たせてあげよう。毛を少しもらっておこう。寝顔だってたくさん撮ろう。
キミの勇姿はこの先もずっと忘れないよ。

やんちゃだった若い頃も可愛かったけれど、おじいちゃんになってからがまた更に可愛かったね。

残ってしまったケア用品やフードは保護犬たちに寄付してくださいました。

可愛い歯を少しだけガラス球に閉じ込めキーホルダーにしました。
どこへでも一緒に出かけられるね。

お寺で四十九日の法要を執り行いました。

あれから一年。お寺で一周忌法要を執り行いました。
もう一年。でもまだ一年。
お散歩しているワンちゃんやSNSで他の子を見るのも少し胸が苦しくなります。
でも久しぶりに触れたワンちゃんに少し癒されつつ、いい時間が過ごせました。
キミの存在の大きさをしみじみと感じます。
今もこれからもずっと、唯一無二の存在です。
17歳6ヶ月、たくさんの幸せをありがとう。キミの勇姿、忘れないよ。
大切な家族だから最後まで愛を込めて
ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう

あの子がお空へ。
音楽葬でのお見送りでした。
絶対的リーダー、弱味を見せない、強く格好いいお兄ちゃん。
弟を守るために向かって来た相手と闘ったこともありました。
そんな強いお兄ちゃんだけれど、ちょっと寒がりで、ママっ子で甘えん坊な一面もありました。
介護施設でセラピー犬として、多くの方々に癒しをくれ、ピアノの音色と彼の無垢な笑顔が、ゆったりと優しい時を過ごさせてくれました。
毎朝のお散歩。
家に帰ればママにまっすぐ向かい、今日はどんなことがあったか、どんなに楽しかったか報告してくれたね。
強く賢く優しく、頼もしいお兄ちゃん。
穏やかな日々がずっと続くかのように思っていたある日。
突然の余命宣告。
目の前に暗闇が広がりました。
受け入れ難い現実。でも時間は容赦なく進んでしまいます。それまでとは違った毎日。いつか来てしまうその日を迎える覚悟は、なかなかできるものではありません。
余命宣告から4ヶ月半。先生に言われた時間よりも4ヶ月以上も生きてくれました。尻尾を上げてくれたのが、彼からの挨拶だったのかな。

旅立ちの日にはたくさんの方が会いに来てくれました。
たくさんのお花も届きました。
彼と組んで演奏をしていたピアニストさんが、思い出の詰まった曲を弾いてくれました。
ピアノの音色が響く中、順に花を手向け声をかけました。
出発の前に、弟たちも兄に挨拶をしました。
行ってらっしゃい。
いったん送り出すよ。
でもこれで最後だとは思っていないよ。
姿は見えなくても、ずっと一緒にいる気がします。
生まれてきてくれて、この家に来てくれて、私たちに幸せを、たくさんの人たちを笑顔にしてくれてありがとう。


あの子の四十九日にお別れ会が開かれました。
たくさんのお花と、彼の思い出コーナーには好きなものを詰めたお弁当、リード、血統書、雨がっぱ、たくさんの写真。
セラピー犬として貢献してくれた彼は、犬ではなく社員。お仕事仲間のみなさんが協力し、この日のために準備を進めました。
庭の薔薇が好きな彼に手向けるお花は薔薇と、彼のイメージカラーである黄色いガーベラ、オレンジ色のガーベラも用意しました。

スライドショーは長年彼のヘアースタイルを整えてくれた、大好きなトリマーさんにシャンプーしてもらう彼の姿、みなさんと触れ合う姿、そして旅立つ日のお花畑で眠る彼、見送るみなさんの様子などが映し出され、ママさんのつくった文章のナレーションが流れました。

多くの方が会いに来てくださいました。
思い出コーナーに立ち止まり写真を見つめる方、弟ワンたちの周りにもたくさんの方が集まり笑顔でお話をされていました。
もちろん、ピアニストさんによる生演奏がこの日も皆さんに心地良く響いたことと思います。

形にとらわれないお見送りの形。
多くの方に癒しをくれた彼のお別れ会の終わりには、彼の毛色に近い生地でお作りしたカバーにお着替えをさせ、ご家族に〝天使のカケラ〟をお渡しし、パパさんから皆さんへのご挨拶で幕をおろしました。


生きた証でもあるお遺骨をほんの少しガラス球に閉じ込めました。
金属アレルギーがあっても身につけていただける紐のチョーカー。
お仕事用の鞄につけていただける、革紐のキーホルダー。
お手持ちのチェーンにつけていただける、ペンダントトップ。

フレッピーくんと、弟ワンたちが一枚の似顔絵に。

くりくりの毛、真っ直ぐで柔らかい毛が1本の筆ストラップになりました。
絶対的リーダー、強く賢く優しいお兄ちゃん。可愛い息子。みんなのアイドル。そんな彼はこれからもずっとみんなの心の中に。
大切な家族だから最後まで愛を込めて
ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう