
※写真は人形です
たくさんの幸せをくれた大切な家族を
とびきり可愛く華やかに
虹の架け橋ぷうの〝想い花プラン〟
その子に似合いそうなお花の色合い等伺いご用意させていただきます。

大切な家族だから最後まで愛を込めて
ちいさな家族にありがとう

※写真は人形です
たくさんの幸せをくれた大切な家族を
とびきり可愛く華やかに
虹の架け橋ぷうの〝想い花プラン〟
その子に似合いそうなお花の色合い等伺いご用意させていただきます。

大切な家族だから最後まで愛を込めて
ちいさな家族にありがとう

もっと写真をたくさん撮っておけばよかった
多くの方がおっしゃいます。撮っているつもりだったけれど、見返してみると少ない。お顔を正面から、横からも、後ろ姿も可愛いし、お散歩中のうきうき顔も笑顔も、シュンとしたお顔も、尻尾や足が見える全体の姿もたくさん撮っておけばよかった。
動画も撮っておけばよかった。あの子の声、夢中でおやつを食べる真剣な目、甘える姿、いたずらが見つかってとぼけるお顔も、ちょこちょこ逃げる後ろ姿も。

もっと遊んであげればよかった
忙しくて後回しにしてしまった。構ってほしい仕草をしていたのに見ないふりをしてしまった。
「あとでね。」どんな気持ちで待っていたのかな。遊び始めたら、撫でたら、抱いたら、あんなに嬉しそうなお顔を見せてくれた。もっとたくさん遊んであげられたかな。

もっと早く不調に気づいてあげられていたら
定期検診には通っていたけれど、なんとなく食欲が落ちてきていると感じていたのに、歳のせいかと見過ごしてしまった。
粗相をするようになってきたのを見過ごしてしまった。悪気はないとわかっているのに怒ってしまった。
お別れが近いのなら、好きなものをもっと食べさせてあげればよかった
健康のため、療法食しかたべさせてあげてなかった。
もしも余命がわかるなら…
あの子の好きなものを食べさせてあげればよかった。あの時食べたがっていた生クリーム。あの時少しだけもらって嬉しそうに食べたケーキのスポンジ。お肉もお魚も果物も、もしも残された時間がわずかだとわかっていたら…食べさせてあげればよかった。
残された時間がわずかだと感じていても、認めたくなかった。だから体にいいとされるものしかあげられなかった…。

一緒に写真や動画を撮っておけばよかった
いつでも撮れると思っていたけれど、あの子との時間は永遠ではなかった。
間に合うことはなんでもしておきたい。
今いる子との時間を大切にしよう。
ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう

キミがいつでもお腹いっぱい楽しく過ごせるようにお弁当を用意しました。
いつものカリカリ、ごほうびのおやつ、家族の食卓で食べたそうにしていたもの、体に毒があると聞いてあげなかったもの、特別なときに食べたごちそう
たくさん食べてね。
お空では、みんなでお弁当の自慢大会しているかな。それとも、ママやパパの自慢大会をしているかな。お腹いっぱい満足してたくさん遊んで、充電できたら帰って来てくれるな。それとも、待っていてくれるのかな。
どこにいても、キミが幸せでありますように。
また逢えたとき、合標になるよう家族の匂いのついたハンカチも持って行ってね。きっとまた逢えるから。そう信じて生きていきます。
生まれてきてくれてありがとうね。家族になってくれてありがとう。
ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう

あの日から丸10年が経ちました。

いつもそばにいたぷーちゃん。
私の腕枕で寝て、朝はカーテンを開けに立つだけで寂しがるので、抱っこしてカーテンを開けてリビングに移動して、ゴミ捨てに出ると外まで聞こえる大きな声で鳴くので急いで帰り膝の上で撫でる。時間の許す限り一緒に過ごしたね。
そんな毎日が長く続いたことは、今でこそ奇跡と思っているけれど、あの頃は当たり前に明日もその先も続くのだと信じていました。


20歳近い頃、郵便屋さんに「可愛い仔猫ちゃんですね。」と言われたことがありました。そう、ふわふわで毛艶もまあまあ良く大きなグリーンアイが綺麗な自慢の子でした。
若い頃より甘えん坊になり、気は強いけれど優しく、よくしゃべる女の子。ハスキーな声が懐かしい。いつも私について歩いて、お風呂やトイレの前で待っていてくれて、帰宅すると必ず玄関前で迎えてくれた…。幸せ過ぎるほど幸せな時間でした。




体は少しずつちいさくなっていきました。お世話ができた時間。今ならそれも幸せだったと思えるけれど、当時は辛かった。
いつかふたりで過ごす時間が止まることが怖かった。
辛い思いはさせたくない。けれど生きていて欲しい。
「お母をひとりにしないでね。ずっとそばにいてね。」そんなことを何度も言ってしまった。当時は気持ちがグチャグチャで、ぷーの気持ちより自分の気持ちを優先していたのだと思います。
身内に言われた言葉が鋭く私の心を刺しました。
「ぷー、よぼよぼじゃん。もう楽にしてあげなよ。」
なんでそんなこと言うの?言われなくてもわかってはいるんだよ…。当時の私にはきつい言葉でしたが、身内のぷーへの優しさでした。正直〝安楽死〟は一切考えていなかったけれど〝延命〟のためにこのあとしてきた強制給餌などが、ぷーを苦しめてしまったのではないか…。ぷーの呼吸が止まってしまったあの日から、答えがわからないまま、後悔や悲しみで心がつぶれてしまいそうな日々を過ごすことになりました。

見るのが辛くてDVDに移しスマフォから消してしまった写真を少しずつ戻しました。

友人に教えてもらった手作りウォーターベッドに寝かし、部屋の掃除やケア用品の洗浄などをして、これからも続くであろう介護生活のために英気を養おうと途方5分かからないスーパーに食料を買いに行き走って戻り、ぷーにサーモンのお刺身を湯通ししペースト状にして口に運んだけれど、もう舐めることもシリンジのお水を飲み込むことも…。
この翌日、永遠の眠りにつきました。

姉に電話で報告し、次にお世話になった獣医さんにご報告し、火葬場の連絡先を教えてもらいました。でもこの現実を口にすると涙が出てしまい、話すことができなくなります…。友人に来てもらい代わりに火葬場を予約してもらったりドライアイスを買ってきてもらったり、助けてもらいました。
職場にも連絡を。猫の葬儀が理由では休ませてあげられないと言われ、火葬は1週間後になりました。1週間、ひたすらドライアイスをあてながら冷房で限界まで室温下げ、長座布団に寝かせたぷーに添い寝して過ごしながら、仕事にも行きました。
そして、ぷーに触れられる最後の日。朝方、ぷーの夢を見ました。
よぼよぼした最近のぷーが、私の膝に手をかけ仔猫を出産し、私の父親がとりあげ拭いてくれる夢。父は先に亡くなっていたため、ぷーの旅立ちを手伝いつつ、私に希望を残してくれたのか…そんな風に感じる夢でした。実際にしばらく後、私に出逢いがありました。

介護中、SNSでつながった猫仲間の方からお花や手紙、手作りのシュシュや似顔絵などが届きました。なんてありがたいことでしょう。ひとりで介護していたため、不安でいっぱいになり心が乱れたときも励ましていただいたり、力をもらいました。
肉球は生前に複写式のキッドでとったもの。嫌がり動いてしまったので綺麗にとれず、亡くなってから飾りましたが、どうして見送る前にとらなかったか…と後に悔やむことになりました。
毛ももらっておけばよかった!抜け毛だけ少し保管してありますが、カットした毛とは違うんです。尻尾の黒い毛、白い毛、グレーの毛。それぞれ残しておけばよかった…。との経験談は今も人に伝えています。

残ってしまったフードやケア用品を必要とする子たちへ 「つなごう命のバトン」
今でこそ、人や猫たち、ワンちゃんたちのために何かお役に立てたらと思い出来ることをしていますが、当時はある程度を友人の猫ちゃんに分け、お供えを毎日豪華にし、爪研ぎやトイレ、キャリーや首輪など使用していたものは綺麗に洗ったり拭いたりして今もたくさん保管しています。使用済みの点滴針は、ずいぶん経ってからようやく病院に持って行きあとのことをお願いしました。

リビングに祭壇を設け、1日2回のお供えと絶やさないよう買い足してきたお花。ひたすらお線香を焚き泣いて過ごして迎えた四十九日。
寝室にはミニタワーを祭壇にし、夜はぷーの遺骨を寝室に移し、朝はリビングに戻す。情緒不安定でボロボロながら少しずつ前に進もうと、重い腰をあげ四十九日に祭壇を縮小し、遺骨を移動することをやめました。
それでも気持ちはなかなか前に進めません。仕事中以外は常に泣いていたような…。1人になったら車でも家でも、うっかり外でも泣いていました。ホームセンターやスーパーのペットコーナーは小走りで通り過ぎました。
帰宅が深夜になる日は出勤前に買い物し、職場の冷蔵庫に鮭やカジキマグロの切り身を入れておき、帰ってから焼いてほぐしてぷーに。残りを私がいただく。そんな日々を過ごしていた頃、職場では私がおかしくなったのではないかとザワザワしていたと後に知りました。
全く立ち直れる気がしない。お腹を空かせたまま眠りついたぷーに悪くて、お供えの残り以外を食べることに罪悪感。あれこれ考え自分を責め、ぷーに謝る…。人前では立ち直った風に振る舞っていても、1人になるとまた泣いて自分を責める、その繰り返しが永遠に続きそう。相変わらず不安定な私に、普段クールな身内から珍しく電話がかかって来ました。
「あんた、ぷーの所に行きたいなんて思ってないでしょうね?」
あっ!そうか。私は最低限だけ食べながら、どんどん痩せていずれぷーの所に…と無意識に行動していたのか。久しぶりに現実に戻った気がしました。それまで心がどこかに行っていたような、ぷーのいない現実を受け止めたくなくて、現実逃避していたのか。
このままではいけない。ぷーはあんなに頑張ってくれていたのに。目いっぱい生きてくれたのに。たぶんとっくに限界だったのに、私のために頑張ってくれていたのだから。
もう2度とこんな悲しいことはイヤ。もう猫は迎えない。そう決めていたけれど、このポッカリ大きく空いた穴を埋めなければ生きて行けない。大きな穴は猫でしか埋められない。SNSで猫を見るのは複雑な気分になっていたけれど、「深夜に自宅に誰かが仔猫を投げ捨てて行った!」とショッキングな記事が目に留まり経過をハラハラしながら注目していました。そして、ご自宅には複数の先住猫がいるため里親を募集すると。「ぜひ私が!」手を挙げていました。

その子が、たった今も私の横で寝息をたてているこの子です。虹の架け橋ぷうを立ち上げるきっかけはぷーとの別れでしたが、活力となったのはこの子とその後迎えた子たちの存在です。
Part2に続きます。

いつもお世話になっている観音寺さんの大切な家族。ビーグルのうららちゃん。
観音寺さんは、虹の架け橋ぷうを立ち上げた2017年から、ワンちゃん、猫ちゃん、うさぎちゃん、ハムスターちゃんなどたくさんの子のご供養をお願いしてきたお寺さんです。
うららちゃんはいつ行っても玄関で出迎えてくれる、いつも元気で食いしん坊の女の子。人が大好きで優しくて、猫ちゃんにもうさぎちゃんにも友好的で愛嬌たっぷりの性格がとても愛らしく、どれだけたくさんの方を癒してくれたでしょうか。会えるのがいつも楽しみでした。

令和6年12月29日
うららちゃん永眠
元気印のうららちゃんがメラノーマだと診断され数ヶ月…。ご家族の愛情をたっぷり受けながら、永遠の眠りにつきました。

食べることが大好きなうららちゃん。
万年ダイエット中のうららちゃん。理想の体重を意識して気をつけているご家族だけれど、おねだりされると弱い…。「ちょっとだけだよ。」

法要が始まるまで仲良しのこはるちゃんとリラックスして待つうららちゃん。

住職であるお父さんのお仕事をいつもそばで応援してくれます。

大切な子のご供養に来られたご家族の緊張をほぐしてくれます。

お父さんが読経を唱えてくれたあとはご家族のみなさまと茶話会です。うららちゃんはいつだって会話に参加しながらおやつをもらいます。マスクやハンカチは隙あらば奪います。遊びたいもんね。

こはるちゃんと協力し合い場を和ませてくれ、気づけばみなさま笑顔に。

1番若くやんちゃで甘えん坊のjobくん。お父さんが大好きです。うららちゃんとも仲良しさん。

法要に参加してくれた、うさぎのたまちゃんとjobくん。ふたり共、今はお空にいます。

お空にはジョンくん、ゲンクロちゃん、こうちゃんもいます。

うららちゃんとjobくん。

大大大好きなお母さんと。
温厚で気さくで…
と書き始めようとしましたが、涙が止まらず進みません…
またいつか、こちらに書くことができたら…と思います。

「はい、お父さん。新品の靴下、履きやすいようにほぐしておきました。」
大好きな写真です。
ぎゅっと詰まっています。いつもの雰囲気。あたたかくて、笑顔の絶えないご家族。ご一緒に仕事をさせていただき幸せでした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

きららちゃんとこはるちゃんは、まだまだ元気でいてね。お母さんの側で、いつも通りいてね。

うららちゃん。いつかまた会いたいな。その時は、おみやげ何がいい?とうもろこしかな。くりかな。やっぱりお肉がいいかな。お芋も喜んでくれるかな。
そちらでも、幸せでいてね。お父さんとみんなと楽しく過ごしていてね。たくさんの人を笑顔にしてくれてありがとう。いつも和ませてくれてありがとう。ではまたね。






保冷剤をペットシーツで包む



枕をつくる


ご安置後のイメージ

ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう

お写真からお作りするガラス製の掛け時計です。ガラス製の時計盤を抱く形でお作りします。

時計盤はお好きなお色をお選びいただけます。


黒柴のとみ雄くん

ポメラニアンのショコラちゃん

すぐにお使いいただけるように単三電池はセットになっています。
お顔写真、毛色のわかるお写真、尻尾、肉球のお写真をお送りください。
お渡しまで1〜2ヶ月お時間をちょうだいします。
これからも一緒に時を刻むよ!
25,000円〜(税込・送料別途)
2020年12月25日
ちいさな黒猫が庭に倒れていました。ねずみ捕りの罠にでも引っ掛かってしまったのか、その体は所々毛がなく、足の甲や踵は骨がむぎ出しになっていました。毛の少ない尻尾はか細く、下半身はウンチまみれです。お尻には男性の親指くらいのコブのようなものがありました…。
こんなにぼろぼろな猫は見たことがありませんでした。ひとまず玄関に入れ、ストーブを用意しました。新聞紙を敷きつめ、段ボール箱にも新聞紙を敷きちいさなハウスを置きました。
魚味の猫用フードを与えると、よほどお腹が空いていたのか、目やにの混じった涙を滲ませ食べました。生きられるのだろうか。それに、うちでは面倒を見切れない。
「今にも死んでしまいそうな猫がいる。安楽死と火葬を頼みます。」
私は旅立ちのお手伝いをさせていただく葬儀屋です。でも〝安楽死〟はもちろん私のできることではありません。信頼できる獣医師さんに相談する前に直接会いたいと申し出ました。
初めて会ったその子は、想像以上に痛々しい姿でした。成猫のようですが子猫のような華奢な体…。意志とは関係なく柔らかいウンチが出てしまうようです。玄関に敷き詰めてある新聞紙もウンチまみれ、血液も混ざっているようでした。
でも、目に力があります。
可愛らしい声でちいさく鳴き、私の足に擦り寄ってきました。初めて会った私に甘える様子にも驚きました。
どこでどう生きていたらこんなにボロボロになるのか…。よく事故に遭わず、生き延びてきたね。ここで倒れるまで、この寒い中、細い足で歩きさまよい助けを求めて辿り着いたんだね。人に甘えることを知っているんだね。応えてくれる人が以前はいたの?
ごはんを食べる姿を見ながら、一度病院へ一緒に行き診てもらおうとお願いしました。

ひと通り検査をしてもらうと、猫エイズ、白血病共に陽性…。そしてお腹には回虫とマンソンがいました。上顎は炎症をおこしており、お尻のコブのようなものは原因がわかりませんでしたが、少しでも触れると悲鳴をあげました…。
まさに満身創痍…。
病気だから人に捨てられてしまったのか、人に捨てられ彷徨ううちに病気になってしまったのか、本当のことはわかりません。わかることは、こんなにボロボロになっても、今生きているということ。生きようとする力があるということでした。
「うちでは飼えない。」
そう言いながら、玄関に敷いた新聞紙をペットシーツに替え、トイレを新調し、アンカを入れたハウスを作ってくれていました。


保護から1ヶ月。4回目の通院日にお迎えに行ったときの黒猫ちゃん。

黒猫だから仮に〝クロ〟とされていたカルテに名前が書かれました。
クリスマスに出逢ったから〝サンタ〟にしよう。
骨が見えてしまっていた足や尻尾が毛で覆われるようになりました。お尻は痛がりますが、少しずつ良くなっているようにも見えました。初めて病院に行ったときに教えてもらった薬の飲ませ方。慣れない手つきで試行錯誤しながら、毎日飲ませています。
迎えに行くと、少しだけ抵抗するものの、おとなしくキャリーに入ってくれました。1週間おきに病院へ。
もう、サンタちゃんの〝お父さん〟と呼んでいいですね?自然な流れでした。
ステロイドや抗生剤、療養食、通院を続けていくうちに、少しずつ体重も増えていきました。
お父さんは3階建のケージを購入。でも狭そうで可哀想と言い、ケージは保護猫シェルターへご寄付され、サンタちゃんには専用部屋を用意しました。

キャリーに入る→病院へ→お家に帰れる
少し我慢してもらいますが、ちゃんと家に帰れると理解しているようで、診察が終われば自らキャリーに入りたがりすぐに落ち着きました。

出逢ってから2ヶ月半
3月に入り、ついに4kgを超えました!
このときは一緒に喜び、そしてこのまま回復して行くと信じていました。口の中の炎症もきれいに治り、あとは下痢が治れば。ワクチンや去勢手術も近いうちに。たくさん抱っこもしよう。
4月に入っても4kg台を維持し、3種混合ワクチン接種までこぎつけました。通院は2週間おきに。下痢はまだ続いています。原因がわかりません。拭いてあげても柔らかいウンチはすぐに体を汚してしまいます。
6月に入り食欲が落ちてきました。トイレに籠っても思うように出ないのか周辺にもらしてしまうことが増えました。この頃から少しずつ体重が落ちていきました。療養食は色々試した上で、これ以上痩せてしまわないように、食いつきを重視することにしました。

11月になりました。体重は3kg台を維持していますがずいぶん軽く感じます。下痢は続いておりよくお尻を舐めています。そしてまた…足の毛が薄くなり、踵の骨が見えてきました…。鼻も口も赤っぽく、かさぶたのようになっていました。薬を減らし、食べられるものを与えるようになりました。
「長くは生きられない気がする。だったらなんでも食べさせた方がいいんじゃないか。」


下痢は治してあげたいけれど、好きなものも食べさせてあげたい。サプリメントを混ぜたりしながら体重が減らないように気をつけていました。
また小さくなったように思います。でも撫でるとうっとり嬉しそうに喉を鳴らし、名前を呼ぶと来てくれます。
このままでもいいのかもしれません。でもウンチをする度に痛がっているのが可哀想で、治せる方法があるのではと…諦めがつきません。

4月になりました。出逢ってから1年と4ヶ月。4.5kgまでいった体重は出逢った頃の小さなサンタちゃんに戻ってしまいました。
思い切って別の病院でも診てもらうことにしました。そして〝短結腸症〟という、健康な子の腸に比べて3分の1しかないことがわかりました。そして治らないとも…。
それでも出来ることはしようと、食事療法、投薬、サプリメント、通院はサンタちゃんの負担を考え回数を減らし、薬だけもらいに行き届けつつお父さんからサンタちゃんの様子を聞きました。

診察台から降りたがり、私の上に来てくれたサンタちゃん。
6月に入ると「最近サンタの耳が折れてきた」とお父さんから連絡がありました。

「これはこれで可愛いけどね。」
体重は2kg台になってしまいました。知人の家族だった猫ちゃんが、亡くなる前耳が折れてきたことを思い出しました。


もしかしたら、残された時間はもう少ないのかもしれません。
撫でると嬉しそうにするサンタちゃん。抱いてあげたいけれどすぐにウンチが出てしまうからあまり抱いてあげられないというお父さん。
オムツをすることを提案しました。
ごはんはもうなんでもあげると決めました。焼き魚でも茹でたお肉でも食べられるものならなんでも。それから数ヶ月。
2022.11.27
サンタちゃん永眠
「サンタのことで相談があります。明日時間はありますか?」
申し訳なさそうに、言いづらそうに話してくださいました。
前日ごはんを食べていたけれど、朝部屋に入ったら冷たくなっていたということを。
翌日、一晩うちでサンタちゃんをお預かりすることになりました。
たった数日会わなかっただけなのに、また小さくなったね…。治してあげられなくてごめんね。2年近くもがんばってくれてありがうね。
ここからはサンタちゃんの最期の姿になります。苦手な方はここで閉じていただけたらと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。
「安楽死と火葬を」あれから2年近く
生きようとしたサンタちゃんと守ろうとしたお父さん。

本当のところキミはどこでいつ生まれたんだろう。何歳なのかな。どうやって生き延びてきたのかな。
お父さんの家の庭で見つけてもらってなければ、ボロボロのまま、お腹を空かせたまま、ひとりで冷たくなっていたんだよね、きっと…。
ずいぶん頑張らせてしまったけれど、この2年弱、幸せだったかな。
賢い子だったね。穏やかで懐っこかったね。病院の帰り道はキャリーの中で寝ていたね。堂々として格好いいところもあった。お花は白や黄色で明るくしようか。明るく。可愛くして送り出すよ。

お母さんが用意してくれたお花
サンタちゃんを家に迎え入れることに積極的ではなかったお母さんも、毎日の投薬など協力してくれ、サンタちゃんのためにお花を用意してくれました。
遺影は、出逢って3ヶ月弱の頃の男前なサンタちゃんを選びました。

お家から持ってきていただいた、サンタちゃんの最近のお気に入りフードは明日お弁当箱に詰めて持たせてあげよう。

ちいさなサンタ帽と赤い蝶ネクタイ
うちの猫たちお気に入りのオモチャのネズミも持って行ってね。

この日は暖かく、時々小雨がぱらぱらしていましたが、お父さんに見守られながらお空へ。
明るく送ろうと思っても涙は次から次へと溢れ出てきて箱ティッシュを持ったまま手を合わせることになりました。
寂しいことは変わりませんが、火葬をして見送ると諦めがつくというか、踏ん切りがつくというか…。ひとつ超えた感覚がありました。まだ信じられない気持ちもあるけれど、白くちいさくなったサンタちゃんは、もうお尻が痛くないし、お薬飲まなくていいし、通院もしなくていい、がんばらなくていいんだ。
それにきっと、サンタちゃんは寂しくないね。なんとなくそんな気がします。
看取ってあげられなかったことが悔やまれる。
もっと抱いてあげればよかった。もっと撫でてあげればよかった。
どんなに手を尽くしてもその時出来ることを全てしたはずでも、あとになると込み上げるものがあります。
でもあの子は、あの子たちは、いつだって今を懸命に生きているだけで、もっと単純なのだと思います。
私の知っているサンタちゃんならこう言っていると思います。
あの時助けてくれてありがとう。大好きだよ。
「ありがとう」「大好き」お互いに、こんなにわかりやすく相手を幸せにする言葉があるのだからしっかり伝えたい。
いつか後悔などよりこちらの感情が超える日がきっときます。心からそう思える日まではたくさん泣いたり悔やんだりしながらあの子の写真に話しかけるときは無理にでもひねり出そう。

同じときを生きてくれたキミに
ありがとう。大好きだよ。
元気いっぱい賑やかで、ママもパパも大好きな甘えっ子。
家族だけに心を許し、犬のお友達は、家族でもある黒柴のはるちゃんだけです。
「優しいはるちゃんのことは好きだけど、ごはんやオヤツはあげないよ。」
食いしん坊で、少し気の強いわがまま娘。
そんなキミが、そんなキミたちが愛おしい。
あの日、酸素室から出たいと言い、自力でトイレを済ませ、いつも決まって一緒に寝るパパのベッドまで行き、ママの手を借り定位置へ。
ママがずっと撫でていてくれました。
最後まで気丈で甘えっ子のキミらしかったね。
キミを包む花を、パパと一緒に選びました。
悩むパパに
「どんな子ですか?」
と訊ねると
「うるさいくらい、元気な性格です。」
あれから数ヶ月が経ちました。
家の中が静かで広く…寂しい。
キミに似合う花を選んでは部屋に飾っています。
ピンク色も似合うけれど、やはり向日葵がしっくりくるよ。
明るく元気でポジティブなイメージがキミにぴったりの向日葵。
いつも家に明るい光を、元気を、幸せをありがとう。
パパたち、これからゆっくり少しずつ、元気になるから。
だから安心していてね。



初めて会ったキミは頑なに背中を向けてこちらを見ようとはしなかったね。
家族が出来て去っていく子を何度も見送ってきたのかな。
他の子たちより少し大きなキミに一目惚れし、この手に抱かせてもらいました。
しばらくは様子を見ていたようだけれど気持ちが伝わったのか、どんどん自分を出してくれるようになりました。
ママも好きだけれど、パパが大好き。
妹が家族に加わってからは、大好きなパパと一緒に寝る特権を妹に譲ってあげる優しいお兄ちゃんになりました。
控えめだけれど甘えん坊。
ママとパパの優しさに包まれて、人が大好きになりました。
小さな子に触れられても全く怒らないキミは、みんなに可愛がってもらいました。
「この子の子供が欲しい」
子供はいないけれど、そんな風に言われたこともありました。
パパとママの次にごはんが大好き!
ごはんの予感がすると、キッチンまでスキップしちゃう。
そんなキミもおじいちゃんになり…
その日が来てしまいました。
大好きなごはん、食べられなかったもんね。しんどかったね。
よくがんばってくれたね。
寂しいけれど、覚悟する時間をキミからもらいました。
パパとママの匂いでしっかり包み、お空へ送りました。
雨が降り、虹の橋が架かったよ。
兄妹また逢えたかな。
優しいキミのことだから、お弁当分けてあげるんだろうね。
寂しいけれど、お空の上でもキミたちが幸せでありますように。
15年間、たくさんの幸せをありがとう。


写真は 2021.3 に家族になった〝こはる〟
愛猫ぷうを見送り7年3ヶ月が経ちましたが、当時を振り返るといまだに涙があふれます。
もっと何かできたのではないか、あの時ああすれば良かった、あんなことしなければ良かった。
少しずつ出来ないことが増え、少しずつ痩せてちいさくなり、いつか来る別れから目を背けなくなったあの頃。辛い現実。いつかこの子がいなくなったら、この子のいない世界はどんな世界なのか…。
あの頃の私は、愛猫の気持ちよりも自分のことでいっぱいだったように思います。
今だったらこうするのに。悔やんでも時間は戻りません。でも今からできることがあると思っています。それは、伝えること。
せめて見送るときには後悔して欲しくない。
まだ間に合うならば、私のように後悔してほしくないと思っています。
「大切なものを失うかもと想像する段階から失った後までも起こる喪失体験がもたらす心情」
〝グリーフ〟について〝グリーフケア〟について勉強をしています。


〝ちいさな家族のおくりびと〟として。
愛猫を送った〝ぷうのお母〟として。
〝いつか来るその日〟までその子に何をしてあげられるのか、ご家族の心の負担はどうしたら軽くなるのか、そしてその日が来てしまったらどうしたらいいのか。何ができて、何をしないと悔やみやすいのか。
たくさんのご家族と接し、たくさんの別れの形を見てきた経験も
今まさに悩んでいる、苦しんでいるご家族にお伝え出来たらと思います。
大切な家族だから最後まで愛を込めて
そして
その子にとってもあなたは大切な家族
ご自身も大切に
責めないで
しっかり食べてしっかり寝て
人に甘えたり頼ったりしていいのだから
たくさん泣いてもいつかまた笑える日がきますように

ちいさな家族にありがとう 虹の架け橋ぷう
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